ウルトラC

好きなものを好きなだけ

ファントム

こんばんは〜〜

実は昨日人生初の宝塚キメてきました〜〜!

ちょっとその感想とか色々書きたいなあと思います!


2人の怪人

実はわたしかなりのオペラ座の怪人ファンなんです。

今年の2月に初めて劇団四季オペラ座の怪人を見にいったんですよ、それ以来ゾッコンで(笑)
劇団四季版のオペラ座の怪人、小説(『マンハッタンの怪人』も)、映画版、ロンドン記念公演版を網羅して、勉強の相棒は必ず映画のサントラなんですけど、この怪人ヲタが波及して、ヅカヲタの友人に頼み込んで今回『ファントム』みにいけることになりました、、、

さてさて、本題に入るのですが、なぜわたしがここまでハマったのかというと、ガストン・ルルーの1つの小説『オペラ座の怪人』から多くの2次創作が生まれ、それがポピュラーになってることが面白い!と思ったからなんです。
原作からミュージカルだけでも3つも異なるストーリーが生まれるのすごくないですか。しかも勝手に続話まで作っちゃってる人もいるしそれもまたミュージカルにしちゃってる。この原作のこの部分に着目するだけでこんなにものがたりが変わるのか!とその創作の柔軟性がとても好きです。
原作はミュージカルを見た人にはびっくりするくらい恋愛要素は少ないです。怪奇小説なんですよね、あれ。だからカラクリとかミステリー要素がかなり強くて、読んだ時、ええ?ってなりました。でもめちゃくちゃ面白いです。
それをより恋愛要素を増幅させて展開していくのが3つのミュージカルなんですけど、ほんと怪人の人物像が全く異なるのがめちゃくちゃ面白いです。
四季でやってるのがアンドリュー・ロイド・ウェバー版(あの有名な音楽はこっちですね)、宝塚でやってるのがアーサー・コピット&モーリー・イェストン版、あとケン・ヒル版があります。
わたしはまだケン・ヒル版を見たことないので、前者2つを比較してみると、ほんとに異なる。

宝塚でやってるファントムの怪人エリックはすごい人間らしいんですよね、そして残酷さはあるもののかなり純粋な印象を受けました。周りへの憎悪というよりは、醜い自分への憎悪の感情が強くて、それでも周りに期待してしまう自分が哀しく醜いと思ってるような印象を受けます。男役さんがあまりに中性的で美しいからというのもあるのかなあと。あと母への思慕が強く、親子愛をテーマに据えてるだけあって、そういったバックが純粋さを感じさせる要因でもあるのかなあ。だからこそその純粋さでクリスティーヌへの愛が歪んだ愛とは思えない。クリスティーヌの拒絶がない分綺麗なお話だし悲劇的に終わるなあという印象でした。

四季の怪人はもうね周りへの憎悪がすごい。全て周りのせいにしちゃうような利己的な部分もあるし、容赦がないんですよね。目的のためには手段を選ばない。だからこそクリスティーヌへの歪んだ愛が物語をドラマティックにするんですけども。ストーカーと言われてしまう原因なのかも(笑)そしてクリスティーヌが彼の顔を知る前の彼への感情が完全に宗教の信仰のそれなんだよなあ。そこが面白くて大好きなんだけど、唯一無二の絶対神だったからこそ、その醜さへの反動が強くなる。クリスティーヌの拒絶の仕方がもうかなりリアル。恐怖心を煽られる感じある意味現実主義的な感じがする。あと原作のスリリングさを持つのもこちらかなあと思う。そしてラストが悲劇的ではない。まだ物語は続くんだって感じがするんですよねえ。

同じ原作だから共通するシーンとか小道具とかたくさん出てくるんですけど、こんなに違うのか!と面白くって仕方がなかったです。

結論、どちらの怪人も良い。

宝塚の印象

雪組のファントムをしかも初観劇で7列目で見たんですけど、すごかった!
舞台装置がとにかく豪華で、こんなところにこれが!?こんなこと歌劇でできちゃうの!?が止まりませんでした。衣装、小道具もとにかく可憐。すごいんですよ、もう、、、
そしてファントムを演じた雪組トップスター、望海風斗さん。かっこよすぎました、、、
ほんと違う界隈だけどヲタクゴコロをくすぐってくるんですよ。
あと全員が女の人ってことで、女の人の喜ぶポイント、かっこいいと思うポイントを抜け目なく、そして何より嫌味なく網羅してる。ガチ恋とかじゃなくてめちゃくちゃ少女漫画なんですよね。
セリフの感じとビジュアル面が完全にベルばら世代の少女漫画なので、その時代の漫画好きは絶対宝塚好きだなあと痛感しました。(私は生粋のベルばらヲタク)
ほんとにカッコよくて可愛くて美しくて可憐でもう言葉失いました。
あと最後の大階段で羽?つけてシャンシャンもってスターの方たちが降りてきた時、これが昔から変わらない宝塚のエンターテイメント性か〜〜!と大興奮しました。

結論、これ見ずに女の子としての人生終えちゃうの勿体なさすぎる!

また違った演目や、ショーを見に行きたいです、、、
ヲタクホイホイでした、、、

日日是好日

こんばんは。
お久しぶりですネ

タイトルは「にちにちこれこうじつ」と読みます。

今日はこのタイトルの映画を観に行ってきました。

朝からどうしても大学に行きたくなくてごねていたわたしを母が誘ってくれました。
映画は大好きだけど、特に観たい映画は無くて、それほど興味を持っていたわけじゃないけど、まあ観に行ってみるかあ。そんな感じ。

結果、素晴らしかったです。

これぞ日本の映画。映画館でしか見ることのできない映画でした。

こういう映画って、ほんとに何かの片手間でみたら没頭できない繊細さがあるので、そういう映画に限ってわたしは映画館で見たい人なのですが、ほんとに繊細で柔らかくて素晴らしかった。

この映画を観ながら考えたことについて少しだけ書いてみようと思います。



五感で感じる

今を生きる中でやっぱりいろんなノイズやバイアスがこの世には溢れかえってて、見えていたものが、見えなくなって、見ようとしなくなって、見ることができなくなってて。
でも昔ながらの大きなお家の庭であったり、自分の身近にはなくても全く知らない景色じゃ無くて自分の原風景のように知っていて、ものすごいスピードで加速していく今の社会でも、「在る」ものはずっと変わらず在るんですね。家だけじゃないにしても着物であったり、お茶や掛け軸などの「文化」であったり。変わらずに在るんですよね。
日本の四季もそう。秋がほとんどなくなってしまったと言われても、やっぱり秋の香りは在るし、梅雨と秋雨はやっぱり違う。
それを生きている中で見えなくなって聴こえなくなって感じなくなって貧しく醜くなっているのは自分なんだなと気づかされました。下を見てしまっていたり、携帯に支配されてしまったり、音楽を聴くばかりになってしまったり、全てを一概に悪いとは思わないし、そういう風にいうつもりも無いんですけど、もう少し自然に生まれる「音」であったり、空気の「匂い」であったり、空の「色」であったり、日常の中で当たり前に在るそれらに触れてそれらを愛でてみよう。そうしたら、ほんの少し日常に彩りを添えられるだろうなあ。


形式主義

こういうお茶の世界であったり、まあそれだけじゃ無いんですけど、あらゆる世界で理屈では説明できないルールってあるじゃないですか。ともすれば理不尽なそれ。それをなんでかみんな重んじなければならないと考えるのが当たり前で、「なんで?」ってなることたくさんあると思うんですけど(これがある意味日本らしいのかもしれない)、劇中でも若い2人がなんで?ってなることに対して、先生はなんで?って、そういうものなのと話すことがあるんだけど、先生は先生なりに形式にこだわる理由を持ってるんですね。それが、「先に器を作る、そこに心が宿る」というものなんですけど、それってほんとにわたしのつまづきを解消してくれる革命的な一言で、なぜ盲目的に信じることのできるのかってことに対する一つの答えだなあと思いました。これでみんなが納得するとは思えないけど、わたしはそういった経験をしたことがあったし、ああそういうことかと本当に懐にストンと落ちてきました。この気づきを言語化するのはちょっとまだ難しくて全然できないんだけどとにかく革命的でした。


自分の手を信じる

なんども躓いているうちに、気づけばスッとうまくいってる時ないですか?頭じゃなくて、理屈じゃなくて、体が先に動いてる瞬間。わたしはすごく考え込む人だけど結構感覚も信じるタイプなのでまあよくあるんですよね、なんでこんなとこで躓いとったんやろ?って。自分の手を信じなさいと先生が若い2人に伝えるシーンがあるんですけど、そのときああこれって、とどのつまりは「自分の経験を信じる」ってことなんだなあと思いました。


この映画ほんとに偶然だったけど見てよかったです。いろんなこと考えた。

あと最後になりましたが、樹木希林さん、本当に素晴らしい女優さんだったなあと。いろんな映画でいろんな希林さんを見てきましたが、ほんとに演じてらっしゃるときは希林さんの個性を生かしているけど、でも自我はそのフィルムにないんですね、だから確かに存在感も圧倒的で、いつも当たり前のように多くの映画に存在するのに、希林さん自身はいないんですよ。確かに希林さんだとわかっているのに、いつもその役で佇む。矛盾が共存してるんですよね、とっても自然に。

そんな当たり前が当たり前じゃなくなって、また一つ日本の映画が変わる時が来たのだなあと静かな予感がよぎります。
名女優、樹木希林さん、どうぞ安らかに。

それでは、また

#HappyChenDay

こんばんは〜〜!

好きな人の話をしますね、だって今日は彼の誕生日だから!

종대오빠 생일축하해요!!

わたしが彼と出会ったのは、高校生の時。文化祭でウルロンを踊ることになってその時初めてEXOを知りました。ソシやRAINBOWが大好きだったので存在は知っていたものの全くナムドルに興味がなかったので、それまで見たこともありませんでした。さらに顔の区別がつかない(笑)そんななかで、強いて言うなら顔が好みなのは、、、と指差したのがジョンデでした。

そこからお隣さんはEXOを見て、わたしはギョンスにハマりEXO沼へズブズブ嵌るわけですが、とにかく動画を見漁ってジョンデの歌のうまさを知ります。ただMっ子だったからわたしが見た動画ほとんどパート少なかったりうつったかどうかわからない感じだったのでハマりきらなかったんですが、ロスプラのMy Ladyのパフォーマンスの動画を見て完全に好きになりました。

よく声が通る上に、高音も綺麗、丁寧な歌い上げまでも完璧となれば、ストンとハマりました。あとなにより妖艶。本当に色っぽく美しいところが好きでした。そこからはずっとずっとジョンデ一筋です(笑)

わたしがジョンデを好きな理由はたくさんありますが、絞るとしたらこの3つ。

①顔が良い

そうなんです、彼グループでは目立たないかもしれないけど、とっても顔が綺麗です。骨格がはっきりしていて、さらに鋭い目、まつげはとても長く、広角が少し上がっていることでキツイ印象を与えない。本当にかっこいいと心の底から思います!


②優しい

どんなインタビューでもメンバーは皆優しい人に彼を選びます。優しすぎてみんなに心配されるくらい優しいです。人を悪く言わないし、きっと人の素敵なところをたくさん見つけるのが上手で、だからこそ人に優しくできるのだろうなあと思います。かれの無償の愛は本当に尊敬に値するし、見習いたいなあと思う。
基本的にちゃんと自分のペースがあって、だから余裕が常にあるような振る舞いができるところ、とても素敵です。その余裕がみんなを思うことができる秘訣なんだろうなあ。
みんながテレビでキム多情って言うあだ名があるよってジョンデの優しさを自慢する姿がとても好き。
本当にこんなに優しい人が存在していいのか。とても好きです。



③プロ意識が高い

かれは本当に意識が高いです。デビューして7年目ですが、明らかに体調不良だった日がわたしの知る限り2回(2013年と2018年)
です。さらに、そのコンディションの中でも全て完璧なパフォーマンスを披露しています。本当にプロ根性がすごい。
きっとアイドルとしての自分の姿が明確で、かつそれを裏切らない行動を取れる人なので安心して応援できます。
さらに、歌への探究心がとどまるところを知りません。
ずっとずっと歌が上手くなるように練習を重ねてるし、実際どんどん上手くなって、どんどん歌の仕事が増えてます。本当に努力を惜しまない人です。
シウミンが以前インタビューで言っていたように、事前の準備がすごいらしいです。確実に万全の体制で本番を迎えるための努力や準備は徹底してやる。本当にかっこよくて素敵です。




アイドルに自分の理想を押し付けることはあまり好きじゃないですが、わたしのアイドルの理想はまさしくジョンデ自身で、ちゃんと自分のしたいことをしてる前提で、全力で私たちと向き合って私たちに最高の思い出をプレゼントしてくれる姿勢がもうありがたくて、いつもファンでよかったなあと思わせてもらってます。本当にありがとう。

今年はまだカムバも残っててまだまだ楽しいことたくさん待ってるし楽しい時間を一緒に過ごせると思うととても幸せです!
どうかあなたのしたいことが全部できて全部うまくいく一年でありますように!
あなたの笑顔がたくさん見れる一年になりますように!
誰よりも幸せに生きる一年になりますように!

本当に大好き!

종대오빠 너무너무 사랑해요❣️
우리 행복하자!! 정말 축하해요 👏🏻

わたしの1pick

こんばんは〜〜

今日はタイトルから分かる通りわたしの1pickについて話しますね!

8/31produce48 が終わりを迎えました。
最初はAKBとK-popなんで混ぜるな危険すぎて、野次馬精神でみ始めました。まさか一話から欠かさず全部見ることになるとは(笑)

わたしは一話まで特に誰にも関心を持ってなくて、強いて言えばホユンジンちゃんをかわいいなあってPR動画で見てたくらい。

でも一話でわたしは運命の出会いを経験しました。

それはイ・ガウンとの出会いです。

それは本当に多くの人を黙らせる実力。すでにアフスクでデビューしていて著名人で、かなり好奇の目に晒されていた中での堂々としたパフォーマンス。
それだけでめちゃくちゃカッコよくて、目を引いたのに、彼女の今回にかける並々ならぬ覚悟を聞いてこの子を推そうと決めました。

カウンちゃんは放送中ずっとリーダーをやってきて、責任感とってもあるし、絶対にグループのみんなを守るし、日本語も喋れちゃうから日本人の子にもサポートを怠らなくて、みんなをずっと支えてきました。
ママみたいな存在とよく国民プロデューサーの間で言われてきたけど、誰よりも芯があるからみんなが寄りかかっても倒れないんだなあと思ってて、そういうカウンちゃんだけが持つ芯の強さがとても好きでした。
ブレなくて堂々としていてそしてなにより優しい。人一倍苦労した分、自分の周りの人たちの弱音にすぐ気づくことができる人。そして大丈夫?って真っ先に手を差し伸べられる人でした。

結果は残念ながら14位。
本当に悲しくて寂しくて苦しい順位だし、彼女の覚悟と努力が報われるような結果じゃなくて辛いけど、それでも他の子がデビュー決めて行く時も、自分が脱落決まった時も、12位でチェヨンが呼ばれた時もずっとずっと笑顔で見守り続けた姿を見て、


わたし本当にカウンちゃんを好きになれて、カウンちゃんのペンになれて良かったなあって思いました。
彼女の優しさに裏付けられたこの強さがとても憧れでかっこいい。
カウンちゃんを好きでいられることが本当に誇らしいです。

誰よりもクールでセクシーなカウンちゃんのパフォーマンスが大好きでした。

ユンジンちゃんのパフォを控室で見る時誰よりも笑顔で見守ってる姿が大好きでした。

毎週応援できるようなコンテンツはもう無くなってしまうけど、キリンズでまたパフォーマンスしてほしいし、どんな形であっても夢を追い続けてほしいです。わたしはその夢を追いかけるカウンちゃんをずっと追いかけたいです。そして誰よりも幸せになってほしいです。カウンちゃんが目指すところ最後まで応援したいです。

いつか必ずカウンちゃんに会って、ありがとうって伝えに行きます。諦めずにもう一度挑戦してくれてありがとう。勇気を与えてくれてありがとう。

苦しくて仕方がなかった時もカウンちゃんは立ち上がったんだって思えるだけで頑張れたし、それは今でも変わらずで、カウンちゃんはわたしの原動力でミューズで憧れで希望の星です。




本当に好きになれてよかった。応援できてよかった。
いい夢をたくさん見せてくれてありがとう。これからも幸せなことだけ見てね。
本当にお疲れ様!大好き!

とりぷるえいち

こんばんは。

今日はほんとうに大騒動に巻き込まれて死にそうになってるのでまあ感情揺さぶられすぎたしブログ書いてみるかあというきもちです。

なのでまとまりがとてもないかも(いつもだね)



さてさて、わたしを騒がせたのは、ヒョナとイドンの熱愛です!


キム・ヒョナは本日(3日)、自身のSNSに「本当に正直になりたかったです。いつも応援して見守ってくださるファンの方々のために、いつものように楽しく堂々と、ステージの上で一生懸命に頑張ります。ありがとう、愛しているという言葉では本当に不十分ですが、他に表現する方法がありません」という書き込みを掲載した。

この日キム・ヒョナとイドンは、聯合ニュースとのインタビューを通じて、2年間交際中であることを明らかにした。事務所の立場をひっくり返したのだ。

キム・ヒョナは、交際をオープンにすることにした理由に対して「私たちが下した決定は、好きになってくださる方々にだけは『正直になろう』ということだった。そして、この選択に責任を取ることができるように、ステージでは最善を尽くす姿を見せたい」と明らかにした。

イドンも「現実は少し違うと思うけれど、認めなければ幸せになれないと思った。グループに影響を及ぼすのが申し訳なくて、メンバーたちにも先に話した。ファンにも本当に申し訳ないけれど、一生懸命に音楽活動する姿で必ずお応えする」と話した。

Kstyleさんからの引用です。

まあ正直度肝を抜かれたというか、トラメカの時もこういうことあったし、またまた(笑)ってら最初の報道で思ってて、キュブもすぐ否定したしほんとそんな感じだったので、わたしはヒョナ様のインスタから直接知ったんだけど、ほんとに度肝抜かれたという表現がぴったり。

わたしはほんとうにいつか記事にするぞと思っていたんですが、とってもとってもTriple Hというユニットが大好きで、一作目が出たときほんとうに震えたんです。わたしが求めてたのはこれだって!

彼らの何がいいって、そのアートワークと音楽性がめちゃくちゃ最高なのはもちろんなんですけど、彼らの持つ雰囲気なんですよね。この男2人のうちどちらかはヒョナと何かあるなという危うさと3人で1つという共依存が見事に両立されているところと、あとあの過激さとセクシュアリティな感じ。あとすごくジェンダーレスなのにすごく性別を感じるところとか。
でもそれって、ファンタジーだから成立するんですよね、、、
今回で痛感しました。

ヒョナ様単体もペンタゴンもわたしはとても好きなんです。

15歳の時からK-popの最前線貼り続けて女の象徴のようなセクシーを王道で行くアイドルとして歩み続けてきた彼女。男が好きなセクシーさなんだけど、女としてそれを武器にしてる感じ、肯定的なセクシーさ。彼女のそういうところとてもとてもすきで、かっこよくて強くて憧れで、なにより誰より幸せになってほしい彼女。

ペンタゴンもペンメからずっと応援してて、単コンにもいったし、実力も高いのにまだ売れてなくて、ほんとうにどうして彼らが認められないのかやきもきして、ぴなりが売れて、ようやくと思ってた。

ドニくんもすっごく感受性が強くてでもとても才能があってペンメの時から日の目なかなか見なかったんだけどでもグループにはなくてはならない存在で、ほんとうに眩しくて、彼だけの魅力があって、とても好きで。

そんな2人が2年という長い時間付き合って来て、本気なんだなと思うし幸せになってと心から思う自分は確実にいる。


だけど、やっぱりそのファクトはTriple Hの作品を確実に生々しいものにする。前みたいな純粋な目で作品に触れることができなくなってとても悲しいのだわたしは。
わたしの大好きな作品を冒涜されたような気持ちになってしまうのだ。
そしてもしかしたら今回の曲、カムバが最後になるかもしれないし、それは十分可能性の高いもので、それがこの上なく悔しくて悲しい。
返してください、わたしのとりぷるえいち。というこの感情。
自分で自分がひどいなあと思うけど、しょうがないんてす。


まあ、わたしには見守るという選択肢しかないのは確かなんですけどね(笑)


そしてまたアイドルの熱愛について考える。
私の大好きな某グループはまあ熱愛で何度も危うかったんですけど、まあよくあの人気キープしたなあ。
それはおいといて、わたしはアイドルの恋愛はしょうがないけど、公開はしたあかん派なので、やっぱりそちらの罪悪感はやはりアイドルの仕事の代償として受け止めなくちゃいけなくて、それはもう絶望的なまでに仕方ないもので、偶像を売ってるのだからそれは遵守しなくちゃいけない責任だと考えている。だからそちらの罪悪感を消すためにこちらが受ける衝撃とそちらの罪悪感が全然イコールじゃない。それを利用しちゃダメなんだよ。ペンがあなたを好きでいることに罪悪感を覚えてしまうそんなことを絶対してはいけないと思う。あなたのことを好きなわたしはわたしだけのものでそれは尊ぶべきものだから。だからやっぱりそうなんだろうなあって止めておいて欲しかったし、あなたの罪悪感の代償として私たちが受けるダメージが大きすぎることをちゃんとアイドルには知っていてほしい。人を好きになることを制限できないから、それは誰よりもあなたのことが好きなペンが1番よくわかることだから。だから、その代わりにお願いしますというきもち。



あと多くは語らないんですが、わたしの絶大なる推しフイくんの心持ちいかに?という感じと、カモフラージュでしかなかったと考えてしまうこの微妙な感じと、あとブルータスお前もか感。とりあえずそれが1番おもろくてケタケタ笑うしかない、、、

どうしてわたしの推したちは過去の恋愛がリークされる???ほんまに終わったん???マ???(傷口を自分で抉って塩を塗りこむタイプ)(この辺でやめときます)

さてさて今日も眠れない夜を過ごしそうです。
皆さんはいい夢を見てね😉

キモチの名前

こんばんは〜〜〜。

今日はものすごく思考した有意義な一日なのでブログを書きます。

思考をつらつらとならべてみます。


そもそもこのブログを始めた理由として、思考を言語化するという工程がわたしには必要だったということが挙げられます。まあこれは最近気づいたのですが、自分の思考形式として、頭の中で感情がせめぎ合っててわたしにはそれが思考なんですけど、それを表現する言葉、つまりまあ感情の名前を知らないからうまく整理して考えられない。物事の本質に触れるような話せるときに言葉に詰まってしまうのは適する言葉を知らないから。ぜんぜん思考が論理的でなくって本当に自分も飲み込まれてしまうんじゃ無いかというような感情の濁流が脳内を襲う。う〜〜んこのままじゃダメだなあとおもって、名前を探す旅に出たわけなんですけど、それは本当に友人の話す言葉、小説、映画、知らない人のブログ、いろんなものから見つかる。そしてそのときにわたしはいつも幸福と絶望に押しつぶされそうになる。わたしとはそういう人間なのです。

圧倒的な感受性に出会うと本当に飛べるほど鳥肌が立って、泣いてしまうこともある、とにかく尊敬の念しかないんです。妬みもそねみもそこにはない。だけど同時に平凡でなんでもない自分に絶望してしまう。

自分にしかない決定的な何かがあるとは思えなくて、遣る瀬無くなるんだけど、でも自己肯定感がとても低いのは大問題だというのが自分の意見だから、それなりに自分の好きなところはあるつもりだ。ここは良いところじゃないか、ここはもしかしたら強みかもしれない、そう思えるところはいくつかある。だけどふとした拍子にウィークポイントになる二面性を持っていることに気づいて絶望する。自分のその自己肯定感はポーズに過ぎないのだと嘆く。

わたしはなんだかめんどくさい人間なのだ。

楽して生きようと思う。自分よりも気楽に生きている人を見てそうすると良いのだと思う。自分がバカを見る気分になる。でもほんとうはわたしはそうありたくないのだ。ストイックさが身を滅ぼす。だけどなりたくない自分にはなれない、頑固者なのだ。

でも卑屈にはならない。それはもうわたしを大事にしてくれている全ての人に顔向けできない行為だ。仕様がない受け入れるまでだ。ひっそりと絶望に浸ってまた歩き出せばいい。


自己評価って、成長過程で周囲の人の評価で決まってくると考えていて、何もわからない状態(これはだいぶ幼いとき)ではものの善悪って判断つかないわけで、親に褒められて初めて褒められた行動が善なのだと認識するとおもっているんだけど、そしたら鏡でしか自分の顔がわからないように、わたしにとってのわたしというものは他人の評価の写しでしかないのではないかと思う。じゃあ他人から見たわたしと自分にとってのわたしに乖離があるとき、その自分にとってのわたしは幻なのか、ニセモノなのか、一体なんなんだろう、自分しか知らないとおもっていた自分だけの領域が実は他人が作り上げたものなのだとしたら、とてもとても恐ろしい。この恐ろしさは、死んだらどうなるのか子供の頃に考えたときの恐怖と同じ類なのだと思った。恐ろしいなあ。

周りの評価と自分の自分に対する評価が乖離しているのがわたしだと思う。周りの評価の自分がとても生きやすくてとても愛おしいがとてもとても気味が悪い。どちらもわたしなのだけれども。ふとその距離に気づいたときに、そっと孤独が忍び寄ってくる。誰もわたしをわかってなんてくれない。そういうちょっとした孤独。誰にでもある感情。悲しみはない、でも一握りの絶望。


SNSで語るやつダサいみたいな風潮全部消えてしまえとおもう。あと何でもかんでも否定しなきゃ気が済まないひとはほんとうに来世では虫けらになっておしまいという気持ち。主体的に考えてください。受動的に誰かの発言を聞いてからじゃないと発言できないような生き方はしたくない。意見というのは発言者の神聖で侵されてはならない領域だと思っていて、誰にも否定できないもの。その思考を受け入れるか、受け入れないかの次元の話であって、善悪、正誤の話ではないのだ。「あなたにはこういう意見があるんですね、でもわたしはこう思います」という発言にするべきだ。ほんとうに生きにくい世の中。わたしの意見はわたしのものだ。正解も間違いもわたしの中にあってわたしが学んでいくからだれもだれも否定なんてしないでくれ。という感情。


思考を止めてはならない。じっくり向き合ってじっくり考えないと。今のわたしにはそれがきっと足りない。感受性がじっくりと長い時をかけて死にゆく音を忘れてはいけない。思考を捨てたときたぶんそれは心の死だ。語ることは学生の特権だ。理想を大きく掲げよう。未来も全部何もかもわからないから、今を見つめて考えないと。

もっともっと思考しなくちゃ。

オンナノコの味方

こんばんは。

今日は好きな漫画について話そうかな〜〜と。

わたしは本当に吉田秋生先生の作品が大好きなんですけど、この前『吉祥天女』を読み返して記事が書きたいってなったので衝動的に。需要はないよなあ(笑)


これは文庫版なんですけど、表紙が少女漫画じゃない(笑)

昔々、天女が地上に降り来たり、
神官の息子と夫婦になった……。
伝説的な由来をもつ
叶家の娘・小夜子が街に帰ってきた。
17歳。凄絶な美貌。
地に囚われた自らの運命を呪う少女。
そして転入先の高校には、
叶家の財をねらう遠野家の暁と涼がいた。
陰謀渦巻くこの街で、
小夜子の領域を侵す者が次々に死んでゆく。
青春の白日夢にも似た、
吉田秋生の幻想綺譚。

まあこれが公式のあらすじなんですけど、こんな話なんだけどこんな話じゃないんだよなあ。

本当に言葉を尽くしても説明しきれないほど秀逸な作品なわけだけど、わたしがこの作品が大好きな理由は、登場人物(主に主人公の小夜子)のセリフだ。

小夜子のセリフには女の生き方が詰まっていると思う。

ネタバレになってしまわないか本当に心配なんだけど、いくつか紹介しようと思う。

「女はね血なんて怖くないのよ…だって毎月血を流してるんだもの」

「女であるということが時どきどれほどの屈辱をもたらすか…あなたたち男にはわからないでしょう」

「男のディフェンスと女のデイフェンスは違うのよ。ついでにオフェンスもね」

「わたしが生まれてきたことにもわたしのまわりの人たちにも…わたしをとりまくあのすべてのことにわたしは腹を立てているのよ」


わたしたぶんこのセリフたち一生忘れないと思う。
泣きたくなるくらい大切でわたしという女を奮い立たせる言葉たち。

各々のセリフを言う場面が結構物語に重要になってくるので詳細は省くんだけど、これだけの重量のあるセリフを主人公に言わせるのって本当に吉田先生には頭上がらないです。



あと、登場人物のセリフで本当に各々にとっての「小夜子」が全く違ってくる。そこもすごいなあと感嘆した。小夜子はどういう少女なのか、掴めない奇跡のような存在がある人にとっては悪魔で、ある人にとっては崇め奉るべき教祖で、本当に小夜子の強かさがどう人々に印象を与えるか、すごくすごく生々しく伝えてくる。それが恐ろしくもなるんだけど、リアルな感触があって、目をそらすことができないこの感じ。ほんとうにすごい。

そして出てくる少女3人がこの多感な時期の少女を3つの類型に綺麗に分けたようなキャラクターで、女の子のことをよくここまで分析したなあとおもう。そして女の子をとても大切に愛してるんだなあと思う。
そういうところとかとってみても、吉田先生って本当に圧倒的女の子の味方なんですよ。きっと先生自身も女というだけで苦渋を味わったことあるんだろうなと思うし、女というだけで生きにくい世の中を生きてきた女の子はみんな本当に共感できることがこの作品には見つかると思う。

これ男の人が読んだらどういう感想になるのかもきになるなあ、、、

少女漫画なんだけど、全然甘ったるいものではなく、ヘビーなんで少年漫画しか読みませんみたいな人にもかなりオススメです。完全版は全2巻。1日で読めちゃうから、是非夏休みに読んでみてください。へへへ

お題「好きな作家」